近年、町に出没するヒグマや農作物を食い荒らすヒグマが増えていて、ニュースで取りあげられることが多くなっています。一方で、ヒグマが暮らす森林が仕事場という人もいます。林業に従事する人たちです。そこで今回はもともとヒグマが利用してきた場所、苫小牧市郊外の民有林で取材を始めました。そこでは林業従事者がヒグマと遭遇するリスクを減らそうと帯広畜産大学が研究を行っています。
現場の林業従事者は?
林業をしている人はヒグマにどのような認識をもっているのでしょうか。大手林業会社の社員に聞いてみました。
大手林業会社 堀 隆博さん
「やはり恐ろしいは恐ろしいですね。ヒグマが居るところに入っていかなければならないので、なるべく会わないようにヒグマに気を遣って入っています。少数で山に入っていくことも仕事の中でどうしても発生するので、生息地に入るという心構えをもって入るのが重要だと思っています」
生物多様性と林業の両立を目指したい
帯広畜産大学の研究が行われているのは地元の民間会社が所有する900haほどの林です。ここは樽前山や風不死岳の裾野で、カラマツの植林地やミズナラなどの落葉広葉樹の2次林が広がっています。
所有する会社では、北海道の森林の原風景ともいえる落葉広葉樹を大切にしながら、さまざまな動植物を育むこの林の生物多様性に配慮しつつ、人が安全に林業の仕事ができることを目指しています。
民有林の森林経営を委託されている大手林業会社の渡辺晋二さん
「森林所有者と繰り返し議論を重ねながら5年後、10年後、50年後、100年後の林の姿を模索しています。ヒグマの利用を疎外せず、林業の障害にもならないようにするのが重要な目標のひとつです」。
移・食・住の視点で現場を見る
林業の現場で働く林業従事者がヒグマと共存できるのか?今回調査を依頼されたのが、帯広畜産大学の柳川久教授の研究グループです。
大学生と東京の大手林業会社、札幌の環境コンサルタント会社とともに調査を続けて今年で3年目になります。
野生動物と人との軋轢や保全管理を研究している柳川久教授は、野生動物がなぜその場所にいて何をしているのかを知ることが大切だといいます。
そこは移動のための経路なのか?そこで餌をとっているのか?そこに住んでいるのか?動物たちの「移・食・住」を知ることで人間側の対策を考えることができると指摘します。
広大な生息地をもつオスのヒグマ
柳川久教授が調査を行う上で念頭にあったのがこの地域のヒグマを詳しく調査した記録の存在でした。
北海道大学苫小牧研究林に在籍していた青井俊樹さん(岩手大学名誉教授)の調査チームが1996年、捕獲したオスのヒグマに電波発信機をつけて3年近く、その行動を追跡しました。
その結果、そのオスはむかわ町から白老町にいたる東西75kmの山林や湿地帯を利用していることが分かり、オスのヒグマの行動範囲が広いという定説と一致しました。
そのヒグマは秋にドングリを食べるためにむかわ町の山林に行き、冬になると苫小牧市北部の民有林内を通過して支笏湖に近い白老台地の林で冬眠していたのです。
この調査で、勇払原野を東西に通る野生動物の通り道「コリドー」が残っていることが確認されました。この地域は道央自動車道や道内有数の交通量がある国道36号線、JR千歳線が南北に走る人口が多い地域ですが、ヒグマをはじめとする野生動物の通り道がかろうじて残っていると考えられます。
青井俊樹さん(岩手大学名誉教授)
「大きなヒグマが人知れず人目にふれることなく長い距離を移動していたことにとても驚きました」
ヒグマの調査はヒグマを実際に捕獲して発信器をつけて放ち、衛星や通信回線を使って位置を特定して記録する方法が最近の主流ですが、ヒグマを捕獲しなければならないため難易度が高い調査です。
そこでおととし始まった帯広畜産大学の調査では複数のカメラを設置してデータを集める方法を取りました。調査は1年ごとに結果を見つつ、3年かけて進められました。
調査研究のステップ
1年目の調査は、以前北海道大学の調査で見つかったオスのヒグマの東西の通り道が現在でも存在するかを確認することから始まりました。
林内13ヶ所に定点カメラを設置したところ大きなオスや親子などが撮影され、ヒグマたちが現在でも東西の移動ルートを利用しているのではないかと考えられました。
4月26日のカメラ設置から11月30日の撤収までに98の撮影データが得られました。データから夏の繁殖期には昼間でもクマが活発に行動することが分かりました。
2年目の調査ではカメラの台数を増やし、ヒグマが林内のどのあたりを利用するかに着目して調査を行いました。調査地ではヒグマが頻繁に利用する通り道が2本見つかりました。
3年目のことしは前年カメラに映るクマが多かったルートのカメラを増やし、個体識別をして移動経路を詳しく追跡ができないか調査が続けられています。
林内にクマのメインストリートが見えてきた
撮影データでは大きなオスが日中でも活発に動き回り、時々カメラに映っていました。大きなオスは繁殖期の6月から8月にかけて広い範囲を、メスを求めて歩き回っていると考えられます。
子どもを連れたメスもまれに映りました。食べ物を探すなど目的があって移動していると考えられます。親離れした若い2頭連れのクマは調査地周辺に1ヶ月ほどいました。自分たちの新しい生活場所を探している途中のようです。
調査をした民有林には林道が張り巡らされていますが、その中にクマたちのメインストリートあることが見えてきました。
クマの行動を分析してみたら
調査から分かったのはクマが昼間カメラに全くと言っていいほど映らない時期と昼間でも夜でも映る時期があることでした。
この林では5月までと10月以降は、クマは主に夜間に移動し、繁殖期の6月から8月には昼夜を問わず移動していることが分かりました。
柳川久教授はクマが活動する空間と時間を把握して、林業現場の作業を調整する方法を提案しています。クマの生活範囲や移動経路を把握したうえで、クマが動く時間を計算して伐採や植林などのスケジュールを立てていくのです。
林業の作業時間は概ね午前9時~午後5時ですが、ヒグマの行動時間に合わせて人がそのスケジュールを調整してクマと会う確率を下げるという、これまでにない斬新な発想です。
帯広畜産大学 柳川久教授
「クマは6月から8月は昼間でも動いているというのが分かりました。その中でも朝と夕方に動く確率が高いので夕方の活動時間を1時間早く切り上げるだけで20数%遭遇率を下げられるということが分かりました。人がスケジュールを調整してクマに会う確率が下がるというのであれば歓迎されるのではないかなと考えています」
「ここはクマの生活圏と人間の生活圏が共通なのでそれをトラブルなしに、両方とうまく共生させていくというつもりで研究に臨んでいます。たぶんここ(調査した林)に定着してずうっとここを使っているという個体はいないのではないかと思っています。ここは移動のために使う場所なので、クマが安全に人と接触することなく動くように保ってやれば良いと思っています。そういう面で農耕地とか市街地に出てくるクマとは別のケースとして取り組めるのではという風に考えています。クマの自由度を保証しながら人間の活動ができる場所だと思うので、うまく共生することができると思っています」
取材して感じたこと
今回調査に同行させていただいた私は自分の定点カメラをクマのメインルートに6月下旬から1ヶ月間設置してみました。大きなオスのヒグマが写りましたが、その数は3回だけでした。たった3回と拍子抜けしてしまいました。
林に入るとクマが周囲のあちこちに居るように思ってしまいますが、クマが居着かず移動のために利用している場所では人がクマに会うことはまれなことなのだと思いました。
これまで取材でたびたびクマを探し撮影してきた私にとって無人の定点カメラで得られる画像や動画は驚きの連続でした。安心して撮影ができることも新鮮な体験でした。今後の環境取材に欠かせないツールになったと思いました。
NHK帯広局ホームページ
NHK釧路局ホームページ
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