驚くべきことに、データによれば「ソーシャルメディア上でのやりとりの19%は、すでに人対人ではなく、人対ボットになっている」らしい。「ソーシャルメディア・ネットワークの統計モデリングに基づく研究では、参加者の5~10%に当たるボットを紛れ込ませるだけで、議論を誘導し、全参加者の3分の2以上に支持される圧倒的多数派を形成できることが明らかになっている」ともいう(トッド・ローズ『なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術』門脇弘典訳、NHK出版)。
だとしたら今後、生成AIが人間と区別できない投稿をSNSで繰り返すようになったら、社会はどうなってしまうのか。こうしたディトピアをもっとも強く危惧するのは、生成AI(ChatGPT)を開発したオープンAIのサム・アルトマンで、共同で創設したワールドコイン(Worldcoin)財団でユーザーの虹彩を認証するプロジェクトを始めた。
非中央集権的にデータ認証を可能にしたのがブロックチェーン
アルトマンがワールドコインで何をしようとしているかを知るには、そもそも「本人認証」とはなにかを考えてみなければならない。
ATMから現金を引き出せるのは、キャッシュカードのICチップとパスワードによって、銀行のデータベース上にあるアカウント(口座)にアクセスしようとするのが、口座名義人本人であることを金融機関が認証しているからだ。
こうした本人認証は、排他的でなければならない。あなたの口座に複数のユーザーがアクセスしてはならないし、一人のユーザーが複数の口座にアクセスすることもできない(日本の場合、支店を変えれば同じ金融機関でもこれは可能だが)。それに加えてSNSでは、本来はプラットフォームにアクセスすべきではないボット(非人間)が、人間のふりをして投稿する(新たなデータを生成する)ことが問題になる。
これまでの「本人認証」は、アナログの身体とデジタルのデータベースをどのように紐づけるかという問題だったが、デジタル上で通貨(というデータ)を取引するようになると、新たに追加されたデータが真正なものかどうかが問題になる。これができないと、誰もが勝手に通貨を「創造」して大混乱を引き起こすだろう。
この「データ認証」問題は、これまで中央集権的な組織(政府や金融機関)に任せるほかなかった。権威のある主体が認証したデータが、真正なものなのだ。
この制約を取り払って、非中央集権的に(政府や金融機関に依存せずに)データ認証を可能にしたのがブロックチェーンで、テクノロジーの世界で大きなブレークスルーになった。ブロックチェーンと暗号技術(公開鍵と秘密鍵)を組み合わせれば、理論上は、中央集権的な組織がなくても、オンライン上で契約や取引などの真正性を保証し、すべての社会的活動が円滑に行なえるはずなのだ。こうしたユートピアを目指すテクノロジー至上主義者は、「サイバーリバタリアン」とか「サイファーパンク(「サイファー」は暗号のこと)」と呼ばれる。
マイニングによるブロックチェーンの認証は「PoW(Proof of Work)」で、それに対してイーサリアムを主導するヴィタリック・ブテリンは「PoS(Proof of Stake)」という認証方法を提唱している。このちがいについては本稿では触れないが、どちらもデータの真正性の証明である「Proof(プルーフ)」を提供するのは同じだ。
だが生成AIによって顕在化したのはその手前の認証だ。「PoW」や「PoS」に対して、これは「PoP(Proof of Personhood)」と呼ばれる。Personhoodすなわち「人間であること」を証明しようとしているからだ。
アナログである「人間」の証明問題
銀行口座を開設するときは、窓口に申請者が現われ、運転免許証などの公的な身分証明書類を提示して手続きをする。これなら、(偽名での口座開設を完全に防ぐことはできなくても)申請者が人間か非人間かを気にする必要はない。ところがオンライン上では、ボットが次々とSNSのアカウントを開設できてしまう。こうして、「人間の証明」という新しい問題が生じた。
これを解決するもっとも簡単な方法は、政府のデータベースと照合することだ。日本の場合、(原則として)すべての国民が戸籍をもっており、住民登録しているはずなので、戸籍謄本や住民票を提出できれば「人間」と認証できる。こうした証明書類は「クレデンシャル(credential)」と呼ばれ、中央集権的な組織によって発行されてきた。
SNSでも、アカウント開設時に戸籍謄本の提出を義務づければボットの侵入を確実に防ぐことができるだろう。しかしこれでは、政府による「監視社会」を嫌うユーザーが反発し、アカウント登録を拒否されることは間違いない。生成AIの時代にボットからSNSを守るには、中央集権型ではない「人間であることの証明」がどうしても必要になる。これが、アルトマンがPoPのプロジェクトを始めた理由だ。
ブロックチェーンは、中央集権的な組織によらずにデータの真正性を認証できるイノベイティブなテクノロジーだが、同様の方法で「人間であることの証明」はできない。なぜなら、人間は「アナログ」だから。アナログとデジタルの接続問題を、デジタルだけで解決することはできないのだ。
そこでアルトマンは、Orb(オーブ)というバレーボール型の機材を使って、Worldcoinのアカウントを開設するユーザーの虹彩をスキャンすることにした。政府のデータベースに頼らず「アナログな身体をもつこと」を証明するには、自分たちでアナログな生体認証をするしかないのだ。
生体認証には、指紋、顔認証、虹彩、静脈などがあり、「わたしがわたしであること」の究極の生体情報はDNAだ。すでにスマホでは指紋認証と顔認証が導入されており、パスワードによる認証よりもはるかにセキュリティ強度が上がった(そのため金融機関は、スマホの指紋認証だけで送金手続きを完結させている)。
スマホの生体認証がプライバシー問題にならないのは、データがプラットフォーマーに送られるわけではないからだ。生体情報が格納されているのはデバイスであり、生体認証は、そのデバイスを利用しているのが登録者本人であることを証明しているにすぎない。
キャッシュカードやクレジットカードでは、パスワード(暗証番号)を知っていることが、そのカードの真正な所有者であることの証明になる。だがこれでは、パスワードを忘れてしまったり、第三者に盗まれるなどのトラブルが避けられない。生体認証はパスワードを不要にすることで、こうした課題を解決した。
だとしたら、ワールドコイン財団はなぜわざわざユーザーの虹彩をスキャンするのか。スマホの生体認証をそのまま利用すればいいのではないか。
残念ながら、この方法はうまくいかない。スマホを使った認証は、そのデバイスが本人によって使用されていることしか証明できないからだ。ユーザーが複数のデバイスを使えば複数のアカウントがもてるし、デバイスを交換しただけで別のID(アクセス記録)がつくられてしまう。
そこでワールドコイン財団は、窓口でスタッフが「人間であること」を確認したうえで虹彩情報をスキャンし、(重複することのない)唯一無二の個人IDである「World ID」を付与するという、きわめてアナログな手段を採用することになったのだ。
からの記事と詳細 ( オープンAIの登場で危惧される「人間の証明」問題。非中央集権的な認証はどうあるべきか? - ダイヤモンド・オンライン )
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