2013年秋から3年半の間、東京特派員として過ごし、多くの在日本朝鮮人総連合会(総連)の関係者に会った。日本社会という「巨大なガラパゴス」のなかで奮闘する総連の同胞たちと本紙の東京特派員の動線は、いろいろな点で重なる時が多かった。朝鮮人・韓国人を狙ったヘイト集会に抗議する集会で初めて顔を合わせ、同胞が困難な環境のなかで大切に守ってきたウリハッキョ(朝鮮学校)の後援集会で親しく挨拶を交わし、強制動員被害者の賠償と補償を要求する記者会見では、顔なじみになって冗談を交わす関係になった。総連は「朝鮮新報」という機関紙を発行しており、同胞社会の本音が気になったので間もなく新聞の定期購読を始めた。
同じ民族なので多くの感情を共有できたが、何か説明しにくい違和感を感じ始めたのは、2014年春頃だった。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は2014年5月、日本と拉致問題の再調査を約束し、関係改善の第一歩を踏みだす「ストックホルム合意」という冒険に乗りだした。これに対する同年7月2日付の朝鮮新報の分析を読んで感じた衝撃を、今でも忘れることができない。記事を書いたのは、東京池袋で一緒に羊の焼肉を食べたことのあるキム・ジヨン副局長(現・編集局長)だった。キム氏は「東北アジアの古い力学の構図が変わり、古い秩序が揺れ動いている」とし、その主な動因として「中国の浮上、米国の凋落、そして朝鮮の核保有」の3点を挙げた。
「朝鮮の核保有とは…」。その時点では、「北朝鮮の核保有」は現実と少しかけ離れた奇妙な話に聞こえた。北朝鮮が実際に核武装を達成するのはまだ先で、だからこそ、進歩政権が再び政権に就いた後、「太陽政策2.0」を通じてこの難題を解決できると信じていたのだ。いまから省みると、東アジアを取り巻く強大な地政学的変化の要因としてその3点を挙げたキム・ジヨン氏の分析は、卓越したものだったと認めざるをえない。
すでに北朝鮮の核保有は、“既成事実”として固まりつつある。2017年11月末の「火星-15型」の発射成功で「国家核武力の完成」を宣言した金委員長は、翌年1月1日の新年の辞を通じて「平和攻勢」に打ってでた。7月に出版した自著『新冷戦韓日戦』ですでに論じたが、当時の北朝鮮の戦略は、そのようなものではなかったと考える。「まず、韓米合同軍事演習を中断させ、在韓米軍を弱体化・無力化し、(長期的に非核化をするという前提のもとで)すでに兵器化した核戦力を一定期間保有する。それと同時に、北朝鮮の核開発の中心といえる寧辺(ヨンビョン)は完全に廃棄するが、表に出ていない一部のウラン濃縮施設は維持する。そうする一方で、2016年から課せられている国連安全保障理事会の制裁の中心部分を解除させ、本格的な経済開発に乗りだす」。金委員長はこのような前提のもとで、終戦宣言などを通じて朝米関係を正常化すれば、自身を狙う様々な脅威の要素を除去したうえで、経済開発に精力を注ぎ、独自生存の道を進められると判断したものだとみられる。この構想にどれほど多くの韓国人が賛成するかはわからないが、米国は同意せず、日本は悽絶な妨害工作を繰り広げることになる。
過去の挑戦が失敗した後、私たちがいま目撃しているのは、南北間の壮絶な軍拡競争だ。北朝鮮は韓国に対して「自分を正当化して他人を非難するな」と激しい非難を浴びせながら、変則軌道で飛ぶ、いわゆる「ゲームチェンジャー」を発射し、韓国と日本の軍当局は、それが1発なのか2発なのかで意見の統一ができないでいる。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、終戦宣言という“平和のメッセージ”を伝えながらも、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を射ち、原子力潜水艦と軽空母の建造を推進するなど、軍備増強に莫大な資金を投じている。
21日に韓国が打ち上げたヌリ号を見て、BBCなどのいくつか外信は、南北間の軍拡競争の兆候を読みとった。弾道ミサイルの開発という観点で見ると、1.5トンにもなる模擬衛星を700キロメートル上空まで持ち上げたことは、大成功だと言わなければならない。そのような意味で、科学者たちに激励の言葉を与えた文大統領の姿は、空に上がる弾道ミサイルを眺め開発者たちを抱擁して称えた金正恩委員長と極めてよく似ていた。太陽の光の挑戦は成果をあげられず、北朝鮮の核と競争・共存しなければならない複雑な選択の時代が始まったのだ。
//ハンギョレ新聞社
キル・ユンヒョン|国際部長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
訳M.S
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