『ルース・エドガー』は米首都ワシントン郊外の教育水準の高い街、バージニア州アーリントンが舞台。高校生ルース・エドガー(ケルヴィン・ハリソン・Jr.、25)は文武両道で知られ、討論部の代表として活躍している。7歳で戦火のエリトリアから米国に渡り、名前も英語でわかりやすいルースに変え、白人の養父母、エイミー(ナオミ・ワッツ、51)とピーター(ティム・ロス、59)のもとで育ってきた。そんな経緯も加わって周囲の期待も大きく、成績や態度がかんばしくない黒人の同級生デショーン(アストロ)とは対照的に、教師から一目置かれている。だが黒人女性の歴史教師ハリエット(オクタヴィア・スペンサー、47)はルースに危うさを感じ、疑念の目も向けるうち、互いの関係は緊張してゆく。
もとは戯曲。オナー監督は2014年にこの作品と出会い、「ラストでどう考えたらいいかわからないと思った。いろんな脚本を読んできたけど、こうした感覚になるのは珍しい」と感じた。戯曲の脚本を書いたアジア系のJ.C. リーに「一緒に映画化したい」と持ちかけ、共同で脚本を書いた。
今作の出色は若き黒人青年と、黒人女性教師との対立だ。アフリカからの移民として英語にも苦労しながら、米国の恵まれた白人家庭に育った青年に対し、女性はアフリカ奴隷を先祖に持つ米国生まれの米国人で、複雑な状況にある家族を持ちながらなるべく隠そうとしてきた。
オナー監督はニューヨークの自宅から、スカイプの画面越しにこう語った。
「彼女はアフリカで育ったルースと違い、米国で黒人として生きてきた40~50代だ。彼女は、もし米国で『完璧な黒人』でなかったらどうなるか、と恐れている。白人の若者のように大麻を吸ったりせず、いい成績を修め、間違いを犯さなければ、米国に受け入れられ、成功するからだ。それに対してルースは、『普通の子どもじゃいけないのか?』『公民権運動は平等であるための運動じゃなかったのか?』と問う。彼女は『平等よりも、完璧でなければならない』と考える。でもそれは、生徒たちを守ろうとするためだ。完璧でなければ世界がどう反応するかと恐れている」
米国では黒人というだけで警官から職務質問をされやすく、時に殺されるリスクすらある現実は今回、米ミネソタ州の黒人男性ジョージ・フロイドの事件で世界に改めて知れ渡った。それを昔から体感しているからこその教師ハリエットの振る舞いだ。
「すごい人であっても、完璧な人間になれるわけではない。ルースは教師ハリエットのもがきを超えて前に進みたいと思っている。ただ、彼女は、米国も世界もまだそこまでたどり着いていないと感じている。そうして彼らの間に生まれた緊張関係や衝突は、僕にもとても興味深かった。だから映画化では、そこをもっと広げたかった。2人とも黒人だからといって、人種問題に同じような態度や信念を持っているわけではない。でも映画や芝居でそうした点が掘り下げられることはめったにない」
オナー監督自身は「ルースに共感している。僕も彼と同じくらいの年で米国に移り、同じような経験や期待を経ているからね」と語る。
ルース同様、アフリカ出身。ナイジェリアで生まれ育ち、外交官だった父の米国赴任に伴い、10歳で家族とともに渡米した。駐米大使も務めた父のもと、大きな公邸に住み、運転手つきの車で学校に通い、「多くの特権もあった」と振り返る。だが父が母のもとを去ったことで暮らしは一変。「母はマクドナルドで働き、お金もなく、きょうだいと小さな部屋に住んだ。ルースと似た暮らしから、デショーンに似た暮らしになった。両方を経験し、人の接し方がいかに変わるかを知った」。そこから学んだのは、「扱いや期待が違うと、心理的にとてつもない影響がある」という点だ。「『君は受け入れられない』と社会に言われ続け、格差によって社会的烙印を押されればいとも簡単に転落する。そうして(黒人への)ステレオタイプを強めてしまう。特に米国では、お金も資産もなく貧しく生きる人が責められがちだ」
一方で、「僕も学校の成績はよくて、ルースのように討論チームにも所属した。『他の黒人と違って君はちゃんとしている。僕たちが引き上げてゆくべき人物だ』と前向きな箱に入れられた」と言う。「人間らしくあれではなく、シンボルであれと求められるのは、いろんな意味で、人間らしくなくなる感覚を覚える」
人種問題の解決もそれによって遠のく、とオナー監督は指摘する。「人々が『ルースやジュリアス(・オナー監督)のような人を見て! 彼らはよくやっている! 社会は人種差別的でも不公平でもない!』と言いやすくなる。大変な人たちがもっと機会を持てるようがんばる必要がなく、楽になる。社会がある意味とてつもなく不当で不公平だという事実にコミュニティーが取り組まなくてすむようになる。でも現実は、ある人物を例外やシンボルにしても、他の多くの人たちが不公平な状況に置かれている状況をなしにはできない。何百年もの間、黒人に教育機会もなく家も持てなかった事実を無視することになる。何世代にも渡り、お金や家など資産を奪われ、いい地区に住もうとすれば追い出され、いい学校に行こうとすると攻撃されたのだから」
英語に「Respectability politics」という表現がある。差別撤廃を実現するために、差別される側がいかに「真っ当」かについて説明し差別撤廃を勝ち取ろうというやり方だ。オナー監督はこれについて批判的に語った。
「こうした考え方は、多様性をうたう西側諸国の大部分でまだ非常に蔓延している。マイノリティーのバックグラウンドを持つ人は、最悪の人物とならないよう期待される。結果、権力や特権のある人が、より公平な社会を作る努力をしない言い訳となる。オバマ大統領に投票したからって人種差別は終了ではない。クリントン候補に投票して、もし今女性大統領が誕生していたとしても、性差別は終わらない。4年か8年、(マイノリティーの)大統領をいただいたところで、何百年、何千年もの人種差別や性差別の歴史が帳消しにはならない。力強くて重要な、変革を及ぼすシンボルが必要ないと言っているわけではないが、問題の解決策と扱われるべきではない。象徴的な存在は仕組みをぶち壊したりはしないしね。社会や文化全体として、長年の仕組みを変える努力を続けなければならない」
ミネアポリスの事件以前から、新型コロナ禍は黒人やヒスパニックといったマイノリティーの暮らしを、感染面でも仕事や収入の激減という意味でも直撃し、格差がますます浮き彫りになっていた。「黒人は所得も少なく、医療ケアをあまり受けられていない。スーパー店員やバス運転手のようなリモートワークができない仕事は、黒人やヒスパニック、移民が多い。コロナ禍のような病気が蔓延したら負の影響は本当に大きい」とオナー監督は言う。
大国・米国での一大産業と言える映画も、米国でまだ停止状態だ。「黒人もヒスパニックが仕事を失い賃金も下がる中、彼らが映画やエンタメの業界に入って多様な物語を紡ぐのも難しくなるかもしれない。この業界に入るのにも映画製作にもお金がかかるし、収入がない時に自活できるようにもしなければならないから、より多くの人が参入しづらくなる影響があるかもしれない。コロナ後に社会や文化が取り組むべき問題の一つとなるだろう」
「人は公平や平等を望んでいても、しばしば、社会がいかに誰かを周縁に置いてしまうか考えなくなる」とオナー監督。「教師ハリエットがくぐり抜けた苦闘をルースがもう経験しなくてすむように、僕たちは自分自身に問いかけなければならない」
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June 13, 2020 at 11:05AM
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