沖縄が復帰してからの50年を振り返ると、復帰そのものがなんだったのかという気持ちになる。
サンフランシスコ講和条約(1951年9月8日調印、52年4月28日発効)で日本は沖縄抜きで、主権を取り戻したことになった。2013年には当時の安倍晋三首相のもとで政府は4月28日に「主権回復の日」という式典を開いてお祝いをした。沖縄を置き去りにしたまま、日本政府にとってはもう戦争は終わったことになっている。沖縄を米国の人質にしたまま、日本は国際社会に復帰した。
復帰すれば変わると期待したが
沖縄県民は虫けらのように扱われてきた。米軍による事件、事故が続き、県民が泣き寝入りをしなければならない。なにがあってもまったく踏み込めない米軍の基地のあり方を考えた時に、国民の基本的人権が等しく尊重される日本国憲法のもとに復帰さえすれば、私たちは普通に日本人として同じように扱ってもらえるという思いがあった。
けれども、ふたを開けたらそうではなかった。「本土並み」はウソだった。核も基地もない平和で豊かな沖縄を取り戻すという願いは全く裏切られた。米軍による特に女性への人権侵害が次から次へと起こる。今も全国の米軍基地の70%以上が集中している。オスプレイも配備される。「基地の島沖縄」が復帰後もずっと続いている。
平和憲法の下に復帰して、基本的人権が尊重されて、基地もなくなって、生活が保障されると思ったのが、全く逆だった。
県民にとっての日本
私たちも復帰に幻想を持っていたのかもしれない。米軍基地の機能が強化され続けていることを考えれば、復帰前よりも悪くなったところもある。憲法も本当の意味では沖縄には適用されていない。そのうえに安保条約、地位協定となれば、私たちが目指していたところはどこだったのかという気持ちになる。
なぜ政府は、憲法にある基本的人権に疑問を抱かせるようなことばかり、沖縄に押しつけるのか。その憲法も改悪しようとしていることを考えれば、日本の国は県民にとってなんなんだろうか、と思う。
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からの記事と詳細 ( 本当に復帰したのか 日本が沖縄に向ける「銃剣とブルドーザー」 | | 糸数慶子 - 毎日新聞 )
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