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Tuesday, March 12, 2024

「ゴルフでは、左手がスウィングをリードしてストロークの原動力とならなければならない」――ジョン・ヘンリー ... - 幻冬舎plus

ゴルフ・スウィングの要点をいち早く見抜いていたテイラー

ゴルフ三巨人と呼ばれるジョン・ヘンリー・テイラー、ジェームス・ブレード、ハリー・バードンの3人は、1894年~1914年の21回の全英オープンでそれぞれ、テイラーが5回、ブレードが5回、そしてバードンが最多記録となる6回の優勝を果たしている。3人で合計16回もの優勝を記録しているのだ。

ゴルフ三巨人のひとり、J・H・テイラーのこの名言は、後のボビー・ジョーンズをはじめとする著名なゴルファーたちの金言ともなった。この名言はちょっと長く、次のように続く。

「右手よりも弱い左手を原動力とさせることはそれ自体不自然で困難な方法だが、正しいスイングを体得するためには、この困難をよく理解してそれに打ち勝たなければならないのだ」

全英オープン最多優勝者のバードンが、現在主流となっているオーバー・ラッピング・グリップ(右手の力を弱め、左手とのバランスをよくする効果がある)を開発したことは有名な話だ。しかし、最初にこのグリップを考案したのは、実はJ・H・テイラーだと本人が言っている。

だが、テイラー自身はそのグリップが手になじまず、テン・フィンガー・グリップで通したのに対し、バードンは根気よくそのグリップで練習し自分のものにした。何より全英オープンで実績を残したことで、今も彼がオーバー・ラッピング・グリップの始祖と伝えられているのだ。

だから、右手の動きを抑制し、左手を主体にして振ることがゴルフ・スウィングには重要だということをいち早く見抜いていたのは、テイラーのほうだったといえるだろう。

そして、テイラーには有名なもうひとつの名言がある。

「ゴルファーの最も崇高な目的は、人を驚かすような素晴らしいショットではなく、ミスをひとつひとつ着実に減らしてゆくことである」

この名言から推測するに、テイラーは現代のような飛距離崇拝主義ではなく、正確にポジショニングすることがゴルフの最重要ミッションだと考えていたようだ。そして、その原動力となるのは器用な右手の動きを抑え込み、左手リードのスウィングをすることだと唱えていたのだ。

その後、この鉄則ともいえるセオリーは、アメリカに渡った後も引き継がれ、ボビー・ジョーンズのような不世出の天才ゴルファーをも出現させた。しかし、アメリカは広大な土地がありコースが大きく作られ、正確さに併せて飛距離も必要とされるようになった。

いわゆる「Far & Sure」が求められたのだが、それでもなお、左手リードのスウィングで正確さを保ちつつ飛距離アップが図られたのだった。ただ、イギリスでもアメリカでも、右手を主体にした個性派スウィングのゴルファーはまだ多く残っていた。

特にスコットランド出身のゴルファーは個性的過ぎるほどのスウィングだったし、アメリカでもアーノルド・パーマーなどは個性派の代表だった。南アフリカの黒ヒョウ、ゲーリ・プレーヤーもどちらかというと筋トレで鍛えた右手を多分に使うゴルファーだった。

しかし、最高に強かったのは、徹底した左手主導のスウィングをしたベン・ホーガンサム・スニードそしてジャック・ニクラスだったし、その後のトム・ワトソンやグレッグ・ノーマン、そしてタイガー・ウッズへとつながる帝王のゴルフ・スウィングは、すべて左手主導だった。

右手の感覚が優れている人が多い日本のプロゴルファー

一方、日本ではどうだったかと言うと、ゴルフ場は土地もせまいことから距離も長くなかった事情もあって、正確でさえあれば何とか試合に勝てるゴルフができた。飛ばし屋のプロもいたが、少し曲がるとOBになるので、飛距離を出せないプロも対抗できたのだ。

日本人は手先が器用な民族と言われていて、右手の感覚が優れている人が多い。その器用な右手の繊細な感覚を生かして正確にボールをポジショニングすれば、日本のゴルフ場では十分戦えたのだ。そのせいか、右手の感覚を生かすべく個性的なスウィングをする人が日本のプロには多かった。

赤星四郎・六郎兄弟がアメリカの近代ゴルフを日本へ持ち込んだものの、後のゴルファーが日本のゴルフ場の特性に合わせて順応した結果とも言えるかもしれない。特に関西の丘陵・山岳コースでは傾斜地からのショットが多くなり、右手の感覚を生かすようなスウィングが結果を出せたようだ。

トイチこと戸田藤一郎プロのパンチショットや杉原輝雄プロの左肘を曲げた五角形スウィングなど、関西のプロには個性派が多かったものだ。関西のプロは、「関東のプロはいつも平らなコースでやっとるから、ちょっとアップダウンがあって傾斜がきついと、よう打てへん」とバカにしていた時代もあった。実際、林由郎プロは左足下がりのライからの打ち方を、戸田藤一郎プロに教えてもらったという逸話も残っている。

日本ではレアな圧倒的飛距離の尾崎将司プロ

そんな中、日本のゴルフ界に衝撃的な革新をもたらす男が出現する。圧倒的な飛距離で、コース設計者の想定をはるかに超えたスケールの大きいゴルフをする、元野球選手の尾崎将司プロだ。

その飛距離は群を抜いていて、航続飛行距離の長いジャンボジェット機になぞらえて、ジャンボ尾崎の愛称がついた。何しろ、普通のプロがセカンドを5番アイアンで打つところ、ウェッジのコントロールショットになるし、Par5もアイアンで2オンしてしまうのだから、まるで違うゴルフ場でやっているような気分にもなったそうだ。

元プロ野球のピッチャーだっただけに、飛距離だけでなくコントロールも抜きんでていた。ストライクゾーンの隅へ投げ分ける右手の感覚は人並みはずれて鋭かったから、ロングショットだけでなく、アプローチやパッティングなどショートゲームにも天性のきらめきがあったのだ。

尾崎プロはプロテストに合格した翌年、1971年の日本プロゴルフ選手権で、初優勝がメジャーという華々しいスタートを切り一躍スターダムにのし上がった。何と言っても、その300ヤードドライブは当時のギャラリーの度肝を抜いて、感動すら与えたのだった。

1973年に招待された2度目のマスターズでは優勝争いに加わっての8位となり、ゆくゆくは日本人初の海外メジャー優勝もあるのではないかと期待させた。ところが、尾崎プロにスランプの時期が訪れる。

尾崎プロも器用な右手を殺したスウィングを求めた

年に1~2回の優勝はあったのだが、青木功プロや中島常幸プロに押され賞金王にはなれなかった、1979~1985年がスランプ期と言われている。特に、79年と81年は優勝がなく、ファンを心配させていた。

そのスランプについて、マスコミに何ら言い訳めいたことを発言していなかった尾崎プロだが、1983年にインタビューを受け、くしくも表題のJ・H・テイラーの名言とよく似たことを語っている。

「太く長く生きるためには、ボディスウィングだ」
「器用な右手を殺して、不器用にボディスウィングを追い続ける。それが太く長く生きる道だ」

尾崎プロは元プロ野球のピッチャーだけあって、手先は器用だった。特に右手の感覚はするどく、バンカーショットで薄く砂をカットしてボールを止める技術は天下一品。「俺の右手は日本一」と豪語していた。しかし、その右手の器用さを封印したボディスウィングをモノにするため、何の言い訳もせず黙々とスランプ期を耐えていたらしいのだ。

他のプロは、手先の器用さを使って、上手いアプローチをしたり、フェードで曲がらないショットを打ったりしてボールをコントロールしていたが、それが通用するのは狭い日本のコースだけで、世界では通用しないと尾崎プロは考えていたのだ。

日本人は器用な民族なので、どうしても上半身が主体となり小手先のコントロールをしてしまう。それでは飛んで曲がらないボールを安定して打つことはできない。手先の感覚は日によって変わるから、今日はよくても明日はやってみないと分からない。4日間の試合で毎日いいプレーをするには、小手先ではなく身体全体でコントロールしたスウィングでないと、日本では勝てても海外では勝てないというわけだ。

こうしてボディスウィングをモノにした尾崎プロは、1986年から復活、その後は手が付けられないほどの強さを発揮して、通算113勝という途方もない金字塔を打ち立てたのだ。

「ボディスウィングをちゃんとできる人間は、いつでも確率の高いゴルフを追求できると思う。体に染み込ませて覚えこんでしまう。そして、いつも体を万全にしておかなくてはならない。スウィング、コンディショニング、トレーニング、この3つの“ING”がボディスウィングを成立させる要諦なんですよ」

尾崎プロがこう語ったボディスウィングは、後にデイビッド・レッドベターなどが唱えた「ボディターン理論」と同じと考えていい。しかし、尾崎プロのほうが早かったし、もっといえば1900年前後のJ・H・テイラーらゴルフ三巨人の時代からの普遍的なセオリーだったのである。

高齢ゴルファーにこそ必要なボディスウィング

私のような高齢ゴルファーは、尾崎プロのようにつきつめることはもう無理な話だ。老化によって衰えていくのは筋力だけでなく、器用なはずの右手の感覚もにぶくなる。トレーニングによって筋力の衰えにブレーキを掛けることはできるが、感覚の方はなかなか衰えを止める術はないように思う。

ちゃんと手で持っているつもりでもポロッと落としてしまう、なんてことが増えてはいないだろうか。これも手先の感覚がにぶってきている証拠なのだと思う。だから、器用な右手を使わず左手を原動力とするボディスウィングをすることは、我ら高齢ゴルファーこそ必要なのではないだろうか。

そう考えた私は、左腕一本での素振りを、朝夕20回ずつをノルマに始めたところである。尾崎プロは66歳で63のエージシュートを達成したが、私も何とか70歳代のうちにエージシュートを達成したいと願っている。そのためには、スウィング、コンディショニング、トレーニングの3つの“ING”が要諦なのだろうと思う。

左手一本素振りは、3つの“ING”の中のスウィングとトレーニングをカバーしてくれるから一石二鳥だ。あとは、病気や怪我をしないようコンディショニングに気を配る、これでエージシュートを目指したいものだ。

参考資料:
・「ジャンボ尾崎の太く長いプロ人生を支える「ボディスウィング」」みんなのゴルフダイジェスト、2024年2月29日
・「尾崎 将司 | PGA WEB MAGAZINE」公益社団法人 日本プロゴルフ協会(PGA会員限定ページ)

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