Text by Anonymous
強いショックを受けながらも、セックス依存症とは何か、そもそも実在するのか、同じ経験をした人々はどんな人生を送っているのかといったことを調べていくうちに、筆者は少しずつ前へと進んでいく──。
この記事は1回目/全2回
リビングの床で、とぐろを巻いた蛇のように放置された掃除機──私はそれを、我が家の崩壊を象徴するイメージとして記憶することになるだろう。
昔からこの部屋が大好きだった。南向きの大きな窓から差し込む日差しは、冷え込んだ冬の日でも私の顔を温めてくれる。でも、今日の真夏の日差しには息が詰まりそうだ。
木々の葉は完璧な輝きを見せ、空は青く澄み渡っている、そんな朝だ。外の世界はこんなにも美しいのに、私の世界はバラバラに砕け散りそうだ。
でも、今朝は違う。彼が隣に座ってくれと言ってきた。何か大事なこと、個人的なことを話したいという。私は掃除機を床に置きっぱなしにする。
彼の隣に座り、黙って耳を傾けながら、彼の手を握る。夫は自分が10代の頃からポルノ依存症なのだと打ち明ける。私と付き合い始めてから、ずっと隠してきたという。この時点で、私たちはすでに9年近く一緒に暮らしていた。
彼を気の毒に思った。「依存症」という言葉から、葛藤や苦悩がたちまち頭に浮かぶ。実際、私が最初に示した反応は、共感だった。おそらく彼は、セックスや男らしさに関して、自分とは異なる価値観を押し付けてくる社会で苦しんできたのだろう。
だがのちに、このとき彼が打ち明けた話に、真実はひとかけらもなかったと知る。
もしかして、不貞行為の言い訳?
翌朝も、掃除機はまだ床に出しっぱなしだ。昨夜はあれこれ疑問がわいてきて、あまり眠れなかった。彼はどうやってこんなにも長い間、私に秘密を隠し通すことができたのだろう? 他にもまだ隠していることがあるのだろうか?
実際、まだあった。しかもたくさん。彼はポルノ依存症であるだけでなく、セックス依存症でもあるという。何年も前から、オンラインでも現実でも、よそでセックスを求めてきた。私は何ひとつ知らなかった。
すぐさま、激しい苦痛に襲われた。私にこのことを隠し通すために、彼がどれだけの労力を費やしてきたのか理解するなんて、とてもムリだ。第一、どうして彼は、自分という一人の女性と関係を築くことに同意したのか?
彼は自分の依存症を、コントロール不能な欲望とか、自分の人生を支配する強迫的な行動として説明しようとした。
「『シェイム』という映画を知ってる?」と彼は聞いてきた。主演のマイケル・ファスベンダーが性依存症を必死に隠そうとするものの、やがてその行動が人生を破滅させてしまう物語だ。「ちょうどそんな感じなんだ」と彼は言った。
明らかになる「裏切り」の数々
私はほとんど即座に、二人の関係を解消すると決めた。
私が気づいていなかったのは、彼が私と出会う前から、他の女性たちと性的関係を続けていたらしいことだ。これを知ったのは、最初の告白から2週間後、真実を求めて、彼に直接問い詰めたからだ。なぜ彼が最初からすべてを暴露しなかったのかはわからない。
いまでは、そのとき彼が話した内容も、まだ完全には真実ではなかったと知っている。新たな情報がぽろぽろと漏れ出してくるのだ。いまでもスマホに疑惑リストのメモが残っている。
彼が関係を持った女性たちは誰なのか? それが「問題」だと気づいたのはいつ? いつも相手と合意のうえで浮気していたのか? 肉体関係になったのはいつから? いけないことだと知りながら、どうして関係を続けたのか?
発覚の日から1週間ほど経ち、私はマグカップを箱に詰めている。指にテープが巻きついて、うまく剥がせない。床に崩れ落ち、いまの自分の姿を見る。泣きすぎて体が痛む。感情が肉体的にこれほど応えたのは初めてだ。
パートナーたちが経験する苦しみ
行動や衝動の制御が難しくなり、日常生活にまで影響を及ぼす「強迫的性行動症」が、当事者に深刻なダメージや孤立感をもたらし、人生のあらゆる側面に作用して、心身の健康に深刻な影響を与えることは間違いない。
ところが、いくらセックス依存症について調べて理解しようと思っても、パートナー(私と同じく、愛する人が事実上の二重生活を送っていたと知った人々のこと)の経験を取り巻く情報や体験談は、ほとんど見つからなかった。
セックス依存症は、パートナーにとっても人生を一変させてしまう出来事だ。2012年に実施された調査によると、パートナーたちはストレス、不安、抑うつ、信頼感や自尊心の喪失を経験し、セックスや恋愛をうまく楽しめなくなっていることが判明した。
ようやく湧いてきた怒り
私の心は、9年分の裏切りに対処しなければならなかった。親しい友人たちは、私がどん底状態にいるとき、すべてを放り出して私の元に駆けつけてくれた。家族は新しいアパートで荷解きを手伝ってくれたり、代わりに掃除をしてくれたりした。
でも、それは長い闘いだった。私は自分の人生や彼との関係を理解しているつもりでいたが、実際は何もかも真実ではなかったのだ。私は夫婦関係を失い、パートナーであり友人でもあった人を失った。
そして何よりも、思い出を失ってしまった。幸せな瞬間が、いまでは偽りに染まっている。自分や他者を信頼する力も失われた。何が真実で何が偽りなのか、判断がつかなくなってしまったのだ。自身の判断を絶えず疑うことはとても恐ろしく、自分を消耗させる行為だった。
最初の数週間は、彼を憎むことすらできなかった。非難すべきは彼の依存症であり、社会だった。自分にも非があった。私には性的魅力が足りず、満足できる存在ではなかったのかもしれない。私が何か悪いことをしたのかもしれない。
からの記事と詳細 ( セックス依存症の夫の浮気を、私は許さなければならないのか ... - courrier.jp )
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