こんな事態を誰が予想しただろうか。参院選の街頭演説中、安倍晋三元首相が銃撃され、死亡した。動機の解明は捜査を待たなければならないが、投票日直前の犯行が社会に与えた衝撃は計り知れない。昭和の初め、政治家へのテロが民主主義の衰退を招き、破滅的な戦争につながった重苦しい歴史も想起させる。暴力で言論を封殺する時代は訪れるのか。(古川雅和、山田祐一郎)
◆投票行動に影響?
「日本の警備は刃物に対する防御が中心。有権者との接触を考える選挙の応援と警備の両立は難しい」
第1次安倍政権で厚生労働相を務めた国際政治学者の舛添要一氏は安倍氏銃撃のニュースにこうつぶやいた。自身も参院選出馬の際、今回の事件があった場所で演説をしたことがある。
「安倍さんが襲撃されたのは、最もインパクトが大きいタイミングだ」という。参院選の投票日を2日後に控えた日。本来なら最終日は各党や各候補者の訴えが大きく報道され、有権者も投票先を決断するが、事件のニュースがあふれ、目立たなくなる可能性があるという。
各種世論調査では、自公で過半数との見方が多く出ていた。舛添氏は「与党に同情票が集まる可能性がある。反安倍の立場をとっていた人も、口にしにくいムードになる」とみる。
国内では元々異論を許さない空気が広がっていた。今春、防衛省が反戦デモを武力攻撃に至らないグレーゾーン事態の例として敵対視していたことが明らかになった。安倍氏自身、2017年の東京都議選の演説で、「帰れ」「やめろ」とコールした人たちを指さし、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い返し、批判を浴びた。安倍氏の政治を批判してきた人たちはどう考えるのか。
◆有権者は冷静に投票を
安倍政権で文部科学次官を務めた現代教育行政研究会代表の前川喜平氏は「許されない行為だ。単に人を殺害しようとしただけではなく、街頭演説をしている人を撃った。これは言論に対する犯罪、民主主義に対する犯罪だ」と力を込める。
一方で、事件は「言論が衰退したからではないか」とも話す。国会ではごまかしの答弁がまかり通り、メディアの追及も緩い。「言葉で言っても、世の中は変わらない。そんな考え方が広がっている。私は安倍政治を追及してきた側にいるが、変えるのは言論だ。そうでなければ、政治や民主主義を封殺してしまう」
懸念されるのは事件をきっかけに、反安倍派への風当たりが強まることだ。「人間としての安倍さんと、政治家として何をしてきたのかというのは別次元の話。批判してきた人はひるんではならない」
アベノミクスを批判してきた同志社大の浜
安倍氏の政策を批判してきた元経産官僚の古賀茂明氏も事件について「絶対に許してはいけない」としつつ、街頭演説を取りやめることには賛成しない。「こういう時だからこそ、万全の警備態勢をとった上で与野党のリーダーは率先して議論をすることが重要だ」と強調する。「有権者も事件に惑わされず、冷静に投票に行ってほしい。今こそ、暴力で民主主義を倒すことはできないと示さなければいけない」
◆「話せばわかる」に「問答無用」と殺害
歴史を振り返ると、政治家へのテロは繰り返されてきた。戦前は暗殺やクーデター未遂といった暴力で政党政治が後退。軍部の台頭を許した結果、日本は戦争に突き進んだ。日本近現代史の専門家は、今回の事件をどう見るのか。
1921年、「平民宰相」として親しまれた原敬首相が東京駅で刃物で暗殺された。閣僚の大部分を第一党のメンバーが占める初めての本格的な政党内閣だったが、事件後、政党政治は後退することになる。30年には、東京駅で浜口雄幸首相が右翼の青年に銃で撃たれた。一命を取り留めたが、翌年に死亡した。32年2〜3月、政財界の要人が多数狙われ、2人が死亡した血盟団事件が発生。同年5月15日には、海軍青年将校や陸軍士官候補生らが首相官邸などを襲撃する「五・一五事件」が起きた。
「『話せばわかる』と説得しようとした犬養毅首相を『問答無用』と殺害した事件は、テロによる言論封殺の象徴。その後、政界や財界は軍部にモノを言えなくなった」と話すのは明治大の山田朗教授。不況が長引く昭和初期の社会情勢に「どうにも打開できない閉塞(へいそく)感がテロ行為につながった」と指摘する。
◆相次ぐ暗殺から軍部の台頭…政治の右傾化へ
五・一五事件後、後継の首相には軍人出身が指名され、政党政治は終わりを迎えた。36年の「二・二六事件」では、一部の青年将校らが高橋是清蔵相や斎藤実内大臣らを暗殺し、永田町一帯を占拠。クーデターは鎮圧されたが、政治の右傾化が加速した。
現在の日本も、森友・加計学園や「桜を見る会」を巡る問題のほか、選挙違反や汚職事件も相次ぎ、有権者の政治への不信が高まっている。新型コロナウイルスの感染拡大で経済は疲弊。長引くデフレは賃金の上昇を抑え、貧困や格差を拡大させた。原油高騰や円安による急激な物価高に賃上げが追いつかず、将来への不安が募る。
政府は、安保法制で集団的自衛権を認め、「戦争ができる国」に近づいた。「専守防衛」から逸脱し、相手領域内のミサイル発射を阻止する「反撃能力」の議論を進めている。ロシアのウクライナ侵攻を受け、防衛費の国内総生産比2%程度までの増額にまい進している。
◆いまこそ冷静かつ毅然とした議論を
「五・一五事件や二・二六事件などの背景にあったのは、政党政治への反発だった」とするのは、帝京大の小山俊樹教授。今回の事件が民主主義の弱体化につながることを危惧する。「対立する相手と話すことをせずに暴力に訴えるテロが及ぼすのは国民の分断だ」
埼玉大の一ノ瀬俊也教授は「実行犯への処罰が甘かったため、目的が正しければ手段が正当化されるという空気が生まれてしまった」と五・一五事件が後に与えた影響を説明する。「安倍氏に対してはいろんな意見があるが、それは国会での議論や言論によって訴える問題だ」と批判する。
政治家の暗殺が投票行動に影響した事例もある。総選挙直前の60年10月、社会党の浅沼稲次郎委員長が日比谷公会堂で演説中に刺されて死亡した。一ノ瀬氏は「社会党に同情票が流れ、議席が伸びたとされる。今回も安倍氏や自民党への同情が集まるだろう。これまでのように政策への反論ができなくなることも予想される」と指摘する。
山田氏も「安倍氏が進めてきた防衛費拡大や改憲などに対する反論がしにくい状況になってしまわないか」と危ぶむ。小山氏は言葉に怒りを込める。「選挙期間の遊説は、政治家と有権者の重要な接点の一つ。政治や言論が力で脅かされることがあってはならない。いまこそ冷静かつ
◆「時代の転換点だった」としないために
デスクメモ 背景はどうあれ、結果が重大過ぎる。繰り返し流れる映像を見ていると、動揺が収まらない。過去の言論テロのときも、こうだったのか。不安に流された時代を経験したからこそ、一人一人が平静を取り戻さなくてはと思う。「あれが時代の転換点だった」という事件にしないために。(本)
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