7年で競技人口約13万人増の「キャプ翼」効果
1981年、マイナー競技だったサッカーに劇的な変化が起こった。漫画「キャプテン翼」の連載がスタートしたのだ。 連載開始時の4種(小学生年代)の登録者数は11万9370人。連載が終わった1988年には24万6037人に増えていた。当時はW杯どころか五輪にも遠ざかっていた。「冬の真っ只中」と考えれば驚異的な伸びだ。 物語は主人公の大空翼が静岡県の小学校に転入するところから始まる。地元ライバルらと切磋琢磨し、選抜チームを結成して「よみうりランド」で行われる全日本少年サッカー大会を制覇。中学生になると世界を目指して戦うようになった。 この設定が秀逸で、夢物語の中にもリアリティーがあった。なぜなら、既にこの頃の静岡は「サッカーの王国」になり、世界を狙う気風があったからだ。
半世紀以上前は「校庭でボール蹴り禁止」の校則も
大空翼が生まれる土壌をつくったのは小学校教諭、堀田哲爾氏(故人)だ。 「校庭でボールを蹴ってはいけない」という校則さえあった1956年、当時清水市の江尻小に赴任した。放課後にボールを蹴って遊ばせるところから始まり、チームをつくり、リーグ戦を設け、指導者を育て、保護者も巻き込みながら、清水を「サッカーのまち」へと変えた。
からの記事と詳細 ( 「キャプテン翼」のモデルは静岡に実在した? 日本サッカー冬の時代に種をまいた《伝説の小学校先生》と「全少」開催秘話(Number Web) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
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