NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第37回「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」は、一気に急展開となった。武田信玄が西上の途上で急死し、足利義昭が信長に挙兵するも敗北。その中で注目すべきは、谷原章介さんが熱演した三淵藤英だろう。今回は、三淵藤英を取り上げることにしよう。
■第37回「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」を振り返って
第37回「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」の内容を簡単に振り返っておこう。
足利義昭(役・滝藤賢一さん)が二条城で織田信長(役・染谷将太さん)に挙兵するも、援軍が得られず敗北した。義昭に仕えていた三淵藤英(役・谷原章介さん)は捕らえられ、信長についていた弟の藤孝(役・眞島秀和さん)と再会。「裏切者」と声を荒げる藤英に対し、藤孝は「政を行うには、時の流れを見ることが肝要」と言葉を返す。ついに権力の頂点に立ち、天下の香木・蘭奢待を手に悦に入る信長。坂本城では、藤英の居城をいきなり取り壊した信長の考えは図りかねると語る光秀に対し、藤英は「主とはそういうもの。その時にこそどう付き従うか、そこが家臣の器」と悟ったような表情を見せた。
大河ドラマでは、谷原章介さんが熱演した三淵藤英についての説明が乏しかった。将軍・足利義昭に仕えた藤英は、光秀になぜ「家臣の器」について意味深長な発言をしたのか。以下、藤英の生涯を紐解きながら、深掘りすることにしよう。
■そもそも三淵氏とは
三淵氏の祖は三淵持清で、4代将軍・足利義持の庶子といわれている(3代将軍・義満の庶子という説もある)。三淵という姓は、所領の山城国三淵郷にちなんでいるという。持清は、室町幕府で引付頭人(訴訟を扱うトップの職員)を務めていた。
その後も三淵氏は幕府に仕え、五番編成の奉公衆として一番に所属した。奉公衆とは、室町幕府における御目見以上の直勤御家人のことである。
藤英・藤孝兄弟の父が三淵晴員である。晴員は、明応9年(1500)に和泉守護・細川元有の子として誕生し、のちに三淵晴恒の養子に迎えられた。そして、足利義晴、義輝、義昭の3代の将軍に仕えた。
藤英が誕生した年は不明である。ただし、弟の藤孝が誕生したのは天文3年(1534)のことなので、それ以前なのはたしかなことといえよう。次に、藤英の生涯をたどることにしよう。
■藤英の事蹟
藤英の生涯は、苦難の連続だった。永禄8年(1565)、仕えていた13代将軍・足利義輝が三好三人衆に襲撃され殺害された。その直後、藤英は弟の藤孝とともに、当時、興福寺で僧侶になっていた足利義昭を救出した。
以後、藤英は義昭と共に各地で流浪生活を送り、やがて美濃の織田信長を頼った。永禄11年(1568)10月、信長は義昭を推戴して上洛。
上洛後の藤英は、義昭の重臣として活躍したのである。つまり、義昭に重用された藤英は、上洛の時点で運命共同体だったといえよう。
しかし、かねて悪かった義昭と信長の関係は、天正元年(1573)に破綻した。こうして、義昭と信長はついに対決するのである。
■義昭と信長の対決
天正元年(1573)7月3日、義昭は信長との和睦を破棄すると、槙島城(京都府宇治市)に籠もって、信長に叛旗を翻した。
藤英が義昭に与する一方、弟の藤孝は信長に味方した。実は、藤孝は義昭が信長に叛意を持っていることを書状で記していたので、早くから信長につこうと考えていたのだろう。こうして二人の兄弟は決裂した。
槙島城は義昭の重臣・真木島昭光の居城であり、宇治川水系に築かれた堅固な城郭として知られていた。しかし、信長の大軍勢を前にして、義昭の夢と希望は無残にも砕かれることになった。
同年7月6日、信長は軍勢をすぐに槙島城へ送り込むと、自身は翌日に佐和山(滋賀県彦根市)から新造したばかりの大船で坂本(滋賀県大津市)に至り、7月9日には上洛して妙覚寺(京都市上京区)に入った。
結局、軍勢の規模で劣る義昭は、あっけなく信長に敗れたのである。
■藤英の最期
同年7月12日、信長の大軍が二条御所に押し寄せると、守備していた藤英だけは退城を拒んだ。その後、藤英は柴田勝家の説得に応じて降伏すると、御所は無残にも破却された。
三淵藤英・秋豪父子は降参していったんは許されたが、のちに身元は光秀に預けられ、天正2年(1574)7月6日に坂本城で自害を命じられたのである(『東寺光明講過去帳』)。
なお、藤英・秋豪父子が自害をしたのは、信長の命によるものなのか、光秀の命によるものなのかは不明である。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】
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