国会審議の花形とされる衆院予算委員会の質疑がすさんでいる。安倍晋三首相が野党側の質問にまともに答えようとしない上に攻撃的な発言ややじを繰り返し、それを正す使命がある自民党所属の棚橋泰文委員長が首相をかばう議事進行を続けているからだ。
議論を通じて、より良い方針を導き出したり、与野党がそれぞれの主張を国民に披露したりする「言論の府」とはとても言えない惨状だ。
このままでは国会に対する国民の信頼が失われ、議会制民主主義が崩壊しかねない危機であることを政府、自民党は認識しなければならない。
最も目立つのは質疑の意義を取り違えているような安倍首相の姿勢である。12日の衆院予算委員会では立憲民主党の辻元清美氏に対して「意味のない質問だ」とやじを飛ばした。
首相のやじ自体あってはならないのだが、問題なのは質問の価値を判断している点だ。内閣法制局の国会での説明によると質問は権利で、それに対する首相や閣僚の答弁は義務である。首相や閣僚の発言は、質問された内容に対する答えでなければならないが、安倍首相はこの原則を完全に無視している。
安倍首相は4日の衆院予算委でも、桜を見る会問題を追及した立民の黒岩宇洋氏を「うそつき」と非難。12日に黒岩氏から謝罪を求められると「非生産的な、政策とは無縁のやりとりを長々と続ける気持ちは全くない」と拒否した。
答弁側が質問の価値判断、評価を行うことを許していると政府にとって都合の悪い追及には答えなくてもよくなってしまう。現在、質問する権利が侵され、答弁する義務を免れる状態に陥りつつあるのだ。
一方、黒川弘務東京高検検事長の定年延長を巡り、立民の山尾志桜里氏が、国家公務員への定年制導入を議論した1981年の衆院内閣委員会での人事院幹部による「検察官と大学教員は既に定年が定められ、今回の定年制は適用されないことになっている」という答弁を提示。違法ではないかとただした。
これに対して、森雅子法相は人事院幹部の答弁の詳細を知らないとした上で「国家公務員法の規定が適用される」と強弁した。安倍首相は13日の衆院本会議で、「従来の法解釈を変更した」と答弁したが、自由に解釈を変えられるなら答弁そのものの意味がなくなってしまう。
それでも、委員会では議事を仕切る委員長がしっかりしていれば、安倍首相や森氏の姿勢や答弁をまともなものにすることも可能だが、棚橋氏は責務を放棄している。政府、自民党は事態の深刻さを自覚すべきだ。
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February 15, 2020 at 06:06AM
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荒れる国会審議 - Miyanichi e-press - 宮崎日日新聞
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