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Sunday, May 21, 2023

なぜ「バツイチは隠すべき恥ずかしいこと」と思わなければ ... - courrier.jp

Photo: Brian Rea for The New York Times

Photo: Brian Rea for The New York Times

Text by Samaiya Mushtaq

離婚する人がそれほど珍しくなくなった現代においても、文化によってはそれを「恥」だと捉えることはある。親族の反対を押し切り、愛情のない結婚生活に終止符を打った筆者を待ち受けていたものとは。


この記事は、愛をテーマにした米紙「ニューヨーク・タイムズ」の人気コラム「モダン・ラブ」の全訳です。読者が寄稿した物語を、毎週日曜日に独占翻訳でお届けしています。

夫と彼の両親、それから私の両親はその夜、ダラスにある実家のリビングに集まっていた。私が離婚を踏みとどまるよう、ある種の干渉をしていたのだ。

「ただわからないのよ。彼はあなたを5ヵ国に連れて行った。それじゃ足りないの?」と義理の母。

「彼はあなたの世話をしてくれるし、なんでも与えてくれるじゃない」と私の母が続く。

私は下を向き、足元のペルシャ絨毯の花柄を見つめていた。

私が幸せではないのは、夫が私と同じように医者ではないからだろうと義理の父は予想した。一方で私の父は、私が誰か別の人を見つけられるだろうかと心配していた。

夫とは数ヵ月前から別居していたのだが、結婚を終わらせようという私の決意は、家族には気まぐれのように映っていたようだ。もちろん、反対されることは予想していた。海外在住とはいえ、南アジア人にとって離婚はいまだ一般的ではない。ましてや女性がそれを言い出すなど、タブーの一つである。

だから、実際に私が結婚を終わらせよう──感情のすれ違いがあったのだ──と言い出したことは、生存主義者のパキスタン移民である両親たちにとっては馬鹿げたことだったし、間違いなくショックだっただろう。

彼らは夜陰に乗じてインドとパキスタンの国境を越えた一族の出身であり、故郷と財産を捨て、新天地を求めた人々である。冷え切った結婚を続ける術を、どうして私は学べなかったのか?

彼らにとって結婚とは、安定の一部という実利的な目的に適うものでしかなかった。文化的グループ、宗派、家系などを共にするメンバーから成る社会を拡大させることでしかなかった。愛は幸運な副産物でしかない。

「人生で最大の失敗」


3年間の結婚生活で愛は育まれなかった。異国での休暇を計画し、カウンセリングを受けてみたし、家族の近くに転居したけれど、何も変わらなかったのだ。

結婚生活において深い関係性を築くことを私は切望していた。そしてこれは、彼との間にはなかった。この望みは、私が精神科の研修を始め、より深く自分自身を知るようになってから意識の中心を占めるようになっている。それゆえ、それが満たされないまま生活を続けることはもはやできなかったのだ。

両親は私が結婚に抱く不安に何年も前から気づいていたが、忍耐し寛容するよう励ましてきた。夫は私を旅行に連れて行き、そこそこの生活費を稼ぎ、たとえば肉体的虐待が起きるなんて酷いことは何もなかった。だから私は、彼を愛することも可能なはずだった。

それをできなかったのは結局、私自身の落ち度だろう。私たちの相性が根本的に悪いということではなかったはずだから。

集団を重視する私たちの文化において、私の抱える不満は馬鹿げたことに見える。離婚したいという主張は甘えだと思われてしまう。

最も重大なのは、私が約束を破っているということ、バングラディシュ・コミュニティにおける私たちの立場を悪くしかねないということ、そして私の人生を棒に振ることだ。それもすべて、私と夫が「結びついていない」ということが前提になる。

義母が出て行くと、母が「もらった宝石をすべて返すことになるわよ」と言った。説得して私の心を変えることのできる人は誰もいなかったし、それについては誰もが幸せではなかった。

父は「人生で最大の失敗を犯そうとしている」と言っていた。

最後に夫に会ったとき、彼は私をまっすぐに見つめてこう言った。

「妻とはどういうものか、君はわかっていない」

「離婚した」だけでフィルターにかけられる


離婚から1年後、結婚不適格者という屈辱的な烙印を押し付けられたにもかかわらず、私は再び結婚しようと決心をした。しかしバングラディシュのコミュニティーでは、私が無事に2回目の結婚ができるとは思われていなかった。

私に合った人がいないか友人に聞くと、言われた。「結婚したことのない友達だって、そんな人を見つけられていないのよ」と。

落胆から解放させようと、母はなんとか私に期待を持たせようとした。「あなたがバツイチだとわかったら嫌われてしまうんじゃないか心配」なんて、母は未来の出会いについて話していた。彼女のアドバイスは、この緋文字について男に前もって知ってもらうこと、しかしまた、できるだけそれについて話さないことだった。開く必要のない、閉じられた章のようなものだ。

離婚後初めてのディナーデートをしたとき、その人は前菜のあと、離婚について詳細を尋ねてきた。「それだけ?」と彼はがっかりしながら、ドラマの不在に困惑していた。それから彼は自分も離婚したと語り、新婚旅行に行ったメキシコの5つ星リゾートで、どれだけ妻に騙されていたかわかったという話をした。その人とは二度と会わなかった。

再び連絡を取りはじめた古い知り合いもいる。その人は私が求めてもいない賛同を示し、「君が回想録とかで離婚について書かないかぎり、僕は気にしない」と言った。

話したこともない人に会うこともあった。当然、その人は私が離婚したことを知らない。彼はステーキ・フリットを美味しそうに食べていたが、私が離婚について話すと、ポテトが刺さったままフォークを置いてこう言った。「それをもう少し早く言って欲しかった」。彼はすぐに会計を済ませた。二度と会わなかった。

離婚を恥と思わせる文化的な要求に抵抗しようとも思った。だけどそれは私を苛立たせた。

私から見れば、私は必要なことをしたまで。正しい選択だったのだ。その選択は夫とその家族、私の家族を傷つけたけれど、愛のない結婚は私を傷つけていた。

とはいえ、一度ダメになった場所で新しい何かを育もうとすることはもう、現実的ではないのかもしれない──過ぎる時のなかで私は何度もそう思わされていた。マフムードに会うまでは。

私の結婚について初めて話した時、彼はほとんど何も言わなかった。誰にもわかってもらえなかったこのことに対して、彼はシンプルに、優しく、「大変だったね」と答えた。

私たちはMinder(ムスリム版Tinderで、今はSalamsとなっている)で出会ったのだが、6ヵ月前にある患者について彼が問い合わせをしてきたときから、その名前は覚えていた。

そして彼のほうは2年前、研修初日に病院のエレベーターで乗り合わせた時から私のことを覚えていたという。その日の彼はIDバッジを見て私の名前を知り、私のことを知っているかと自分の同僚の一人に聞いていた。その同僚は私の知り合いで、私が既婚者であることを彼に伝えていたのだ。

数年後、マッチングアプリで私のプロフィールを見て、彼は驚いた。だからといって彼は右にスワイプをしなかった。その後数回マフムードと会ったが、彼に合わせて自分の3年間の結婚話を封印しようとは決して思わなかった。私が結婚していたという事実が、彼を悩ませるようなことはなかったからだ。彼との会話は気楽だった。

しかし、彼と結婚しようという発想はなかった。結婚を解消する理由としては軽薄と思われた「欠落」──つまり深い絆が彼との間にはあった。それは生きる源だ。

だけど私は、結婚生活を続けていく方法を知らない人間だと、世間から見做されている。

彼のことを話すと、母は言った。「このまま進めるならもう失敗しないでね」。バツイチであるという恥──結婚に失敗したことがあるという恥──は心に深く根付いていて、私自身完全には認識できていなかったらしい。

だからマフムードがプロポーズしてくれたとき、私は断ってしまった。離婚はボロボロになった結婚から私を解放してくれたと思っていたのに、それはまた、これから開かれる新しい関係への可能性を閉ざしてしまう内面的スティグマへと転移していたのである。

結婚する決心について語るときによく言われるものだ。「わかるときには、わかる」とか「直感で決めろ」とか。だけど私はそんなことはなかった。私はわからなかったし、いずれにせよ直感は不全だった。

もし再婚しないなら、もう離婚を経験しないで済む。だけど再婚しなかったら、愛しはじめていた人を失うことになる。

ところが私の「ノー」にもかかわらず、マフムードはめげずにチャレンジしてきた。だから私もチャレンジして、ついに「イエス」と答えたのだった。

離婚は傷跡を残していたけれど


結婚して3年になる今年の夏、私たち夫婦は幼い娘と、通っていた医大のキャンパスを訪れた。途中で、最初の結婚をした時に住んでいたマンションを通り過ぎた。マフムードは車の速度を落とし、このあたりを見たいか聞いてきた。好きなだけ見てきていい、待つのは問題ない。私がためらっていると、彼はそう言ってくれた。

車を降り、あのマンションの5階にあるジュリエット・バルコニーを見上げた。そこに座って休んでいても、深い満足はなかったことを思い出す。

離婚してアパートを探すとき、素敵なバルコニーがあることを条件にした。そしてこう思っていた。新しい家に移ったら、ロッキングチェアとサイドテーブルを用意して、ほぼ毎晩バルコニーに座ってくつろごう。苦労して手に入れた平穏を抱きしめながら──。

数分で車に戻ると、マフムードは言った。

「もういいの?」
「もういいの。ずいぶん長くいたから」

© 2023 The New York Times Company


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