発話障がいがある私は「あ、か、さ、た、な話法」(※)を使って国会で質疑している。
準備した質問については、原稿を秘書が読み上げる代読をしているが、当初予定にない質問をする場合は、速記を止め(質疑時間を中断する)、その間に「あ、か、さ、た、な話法」で発言内容をまとめ、まとまったところで質疑時間を再開して秘書が代読している。
「あ、か、さ、た、な話法」では、意思表明に健常者の発話より時間が必要になるための対応だ。
「あ、か、さ、た、な話法」の時間を質疑時間に含めないことによって、形の上では質疑時間は確保されているが、私は「あ、か、さ、た、な話法」の時間もふくめて質疑時間とし、それに応じて質疑時間を延長するよう求めている。
切り捨てられる怖さ
なぜ質疑時間の延長にこだわるのか。「わざわざ『あ、か、さ、た、な話法』によるコミュニケーションに時間を使うよりも、事前に原稿をつくりこんで、秘書が代読すればいいのではないか」という意見があることも十分認識している。
しかし、私はそれでいいのか、と問いたい。
これは優生思想を認めないという私の活動にもつながっている。障がい者は、健常者の基準に合わせられないことで社会から切り捨てられる怖さを日々感じている。
障がい者運動をけん引してきた発話困難な重度身体障がい者の言葉に、「俺の遅さにつきあえ」という言葉がある。「健常者のスピードに合わせられない人は社会のお荷物だ」という価値観に対して、過去の障がい者はこうして対抗してきた。
国会議員である私が健常者の基準に合わせてしまったら、社会から切り捨てられる怖さに日々直面する人たちを代弁できない。
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からの記事と詳細 ( 「俺の遅さにつきあえ」 健常者に合わせなければならないのか | | 天畠大輔 - 毎日新聞 )
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