<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力②9条の規範性>
「抑止力として力を発揮するのは、圧倒的に『懲罰的抑止』だ。報復の可能性にどれだけ現実味・真実味をもたせられるかで、効果も変わってくる。だからこそ日本は核を巡る意思決定に、深く関与すべきだ」
今夏の参院選で演説中に凶弾に倒れた安倍晋三元首相は4月、月刊誌に米国の核兵器を日本で共同運用する「核共有」の議論を促す論文を寄稿した。自ら積極的に訴えてきた敵基地攻撃能力の保有に関する自民党内の議論がまとまろうとしていた時だった。
「懲罰的抑止」とは、相手に耐え難い被害を与える報復能力を示して攻撃を断念させる考え方。それは憲法9条に基づいて専守防衛に徹してきた日本の安全保障政策を大きく変容させることを意味する。
敵基地攻撃能力で念頭に置くのは、弾道ミサイルや核兵器を持つ中国や北朝鮮への対処。敵基地攻撃能力が「力には力」の論理である以上、通常の兵器だけで足りず、自民党内からは「弾道ミサイルも必要だ」との声が上がる。「抑止力の向上」は、最終的に「核には核」でなければ相手に攻撃を断念させられないという議論にもなりかねない。
政府は1950年代、敵基地攻撃に関して「防御する手段がほかに全然ない場合」に「座して自滅を待つのが憲法の趣旨ではない。誘導弾などの基地をたたくということは法理的には自衛の範囲に含まれ可能」との見解を示している。岸田政権もこの見解を基に、保有は政策判断で憲法上問題ないとの立場だ。
だが、日弁連憲法問題対策本部副本部長の伊藤真弁護士は「当時の見解は、軍事技術が発展していなかった半世紀前の仮定に基づいた議論。軍事力を高めた中国や北朝鮮に敵基地攻撃してもそこで終わるはずがなく、相手を
政府見解に詳しい阪田雅裕元内閣法制局長官も「発射地点をたたけば用が足りるとの前提で議論していた当時と状況が全く異なる。今は指揮命令系統などほぼ全て殲滅的に攻撃することが必要で、憲法9条の規範性が失われる」と強調する。
憲法の理念とは相いれない「力と力」「懲罰的抑止」の先には「核兵器を持った方が世界は安定する」という倒錯した世界観すら見える。(市川千晴)
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